2011年01月31日
大友宗麟鉄砲隊長情報
大友宗麟鉄砲隊 隊長よりの情報です。
1543年種子島に鉄砲伝来です。
大友宗麟の鉄砲に関する情報です。
大友宗麟は1553年と1556 年に将軍に南蛮砲を献上しており
1559年には豊後国産の鉄砲を献上しています。
1564年毛利軍との戦いでは
15,000人の軍勢で1200丁の鉄砲を使い戦をしています。
長篠の戦より6年も前の事です。(織田軍35,000人の軍勢の内3,000丁の鉄砲使用)
大友が1559年に組織的に鉄砲を製作したとしたら
1564年までには毎年200丁以上を作った事になります。
日本初の大砲国崩しや軍艦からの艦砲射撃など鉄砲に関しては
西の大友、東の織田といわれる進んだ考えを持った戦国武将でした。
織田信長に大砲を贈り「鬼月毛」と言う名馬を贈られています。
当時の最高実力者、織田信長との関係を重視して政治を行っています。
九州では最新の情報収集力に優れ、
バランス感覚に優れ外交を得意とした武将です。
1543年種子島に鉄砲伝来です。
大友宗麟の鉄砲に関する情報です。
大友宗麟は1553年と1556 年に将軍に南蛮砲を献上しており
1559年には豊後国産の鉄砲を献上しています。
1564年毛利軍との戦いでは
15,000人の軍勢で1200丁の鉄砲を使い戦をしています。
長篠の戦より6年も前の事です。(織田軍35,000人の軍勢の内3,000丁の鉄砲使用)
大友が1559年に組織的に鉄砲を製作したとしたら
1564年までには毎年200丁以上を作った事になります。
日本初の大砲国崩しや軍艦からの艦砲射撃など鉄砲に関しては
西の大友、東の織田といわれる進んだ考えを持った戦国武将でした。
織田信長に大砲を贈り「鬼月毛」と言う名馬を贈られています。
当時の最高実力者、織田信長との関係を重視して政治を行っています。
九州では最新の情報収集力に優れ、
バランス感覚に優れ外交を得意とした武将です。
Posted by アイキュウ at 19:25│Comments(0)